北京

28日から3日まで北京に行ってきた。目的はあくまでも観光というか、中国という国はいったいどういうところであるのかを見てみようと思ったからだ。基本的に出発前の時点での中国に対する印象は別に良いものではなかった。その原因は中国を舞台にした小説にある。たとえば、「項羽と劉邦」であるとか「三国志」、「大地」、「大地の子」、「ワイルド・スワン」。どれを読んでも中国という国に対して良い印象を抱くことはきわめて難しい。賄賂が飛び交い、不正が横行し、暗殺、裏切り、理不尽なことがたくさん起きていた。もちろんこれらは小説であるから、そのまま鵜呑みにするのは良くないとしても、どの小説を見てもそのようなことが書かれているのであるから、実際のところそのような要素は十分あることは予想に難くない。


今回は「観光+フリー」のツアーにした。メジャーなところを観光するのであれば、観光付きのほうがいろんな意味で手っ取り早いし、フリーもあるから、自分の足でまわることもできる。


観光で良かったのは、やはり故宮博物館(紫禁城)だ。絶大な権力を誇った歴代の皇帝たちの居城であり、多くが他の国に持ち去られてしまったとはいえ、そこにある貴重な品々は目を見張るものがあった。韓国に行ったときに、皇帝の宮廷というのだろうか、そういうところを訪れたことがあったが、そこではとりたてて特別な感銘を受けることはなかったけど、さすがに中国はいろんな意味でスケールが違う。驚くほどの技巧が凝らされた芸術品を多く見ることができた。


万里の長城にも行った。さすがに上まで登るのはけっこうつらかったけど、一度は行ってみてもいいだろう。万里の長城で分かったことは、モンゴルなどの騎馬軍団というのはすごいということだ。北京から万里の長城に至る道の途中は後半はずっと切り立つ山々の連続で、この山だけで自然の要塞として機能するのではないかと思えるほどなのだけど、でもわざわざその山だけでは足りないとばかりに長城を築くのであるから、騎馬軍団はこれらの山々をどんどん越えて侵略してきたに違いない。


さて、観光以外の印象だけど、個人的には予想の範囲内だった。一緒に行った友人は予想以上にひどかったと感じたようである(笑)。


まず、道路交通がすごい。何人(なんびと)も譲らないのである。人も信号を無視して渡ろうとするし、自転車もバイクもそうである。そして当然車もそうである。この国では車が優先であって、人が渡っていてもお構いなしにつっこんでいく。驚くほどぎりぎりの場所をかすめていくか、あるいは、人が生命の危機を感じて止まってくれるかのどちらかという感じである。こういう感じは車同士でも変わらず、合流でもファスナー原則などというものはどこにも存在しない。車を無理矢理寄せていっても、決して入れようとしないのだ。そんな感じであるから、渋滞もけっこうしているし、事故はしょっちゅう目撃する。僕たちも最後のほうは、信号を守るというよりも、自分にとってより安全なタイミングで歩行したり横断したりするようになった。なにしろ、青信号で渡っていたとしても、車は容赦なくつっこんでくるのだから、のんびり渡っていることなどできないのだ。あと、普通の歩道に関しても、日本のように考え事をしながら歩くということはなかなか難しい。予想外の段差が多くて、何度も転びそうになってしまった。この国に「バリアフリー」という言葉はないかのように思える。


北京市内の様子は、北京オリンピックに向けてどんどんと新しい高層の建物が建ち、表向きはこぎれいな都市であるといったふうな印象を受ける。スターバックスマクドナルドとケンタッキーは至る所にあり、若者で街はあふれている。デパートが建ち並び、車が行き交っている(近年は都市ごとの印象が均一化されていっているようで、一旅行者としてはとても残念だ。)。ところが、ちょっと裏通りに入るとものすごく汚いところが現れる。人が住んでいるのかどうか分からないぐらいぼろぼろの家も多いし、ゴミが汚く積まれているところも多いし、くさい公衆便所が至るところにある。人々は痰とつばをはきまくっている。


ガイドブックに載っているようなところに行っても、自分の予想とは違っていることが多い。たとえば、ガイドブックではこぎれいな茶芸館として紹介されているところに行ってみたけど、営業しているのか分からないような雰囲気を漂わせており、どこが入り口なのかも分かりづらく、けっきょく入らずに帰ってきてしまった。あと、外国人向けの店が並ぶという三里屯という通りにも行ってみたけど、どこが外国人向けなのかよく分からなかった。いや、正確に言うとそのような努力をしているのかもしれないと思える店が建ち並んでいたけど、あくまでも中国人の主観によって建てられた店である。そんなわけで、とりあえず、外資系の店に行くのが一番落ち着ける。僕たちは最後のほうは、とりあえず何にも期待をしないことにしようということで意見の一致を見た。


中国人全般に関する印象は(もちろん、個々の人々はそれぞれ違っていていろんな人がいる。それは分かっている。しかし、全体的な国民の性質というのは次のように感じた)、「あやしい」あるいは「信用できない」ということである。何しろ基本的なスタンスが“ぼったくろう”ということではないかという印象を受けた。ものすごい勢いの客引きがあるし、売っているものもものすごくあやしいものが多い。たとえば、万里の長城で連れて行かれるおみやげ屋さんなどは、最初に出されるのがスーパーコピーの時計であり(たとえばロレックスのコピーは中身はセイコーであるから信頼できるとのことだった)、その後に出されるのが非常に細工の雑なアクセサリーである。アクセサリーにけちをつけると、うちの店は国からお墨付きをもらった信用できる店である、とのことだったが、スーパーコピーを売っているという時点で十分あやしいのである。


基本的に客の心をとらえるのも下手なのではないかと思った。故宮博物館の後に行った石細工の店だけど、本物を見た後の目にはすべてがくだらない品物にしかうつらなかった。たぶん、本物を見ていなくても、くだらないと思っただろうけど、なおさらである。しかし、物の数だけはやたらと多い。明らかにデザインの悪い石細工が大量に並んでいる。物は数があるから買うのではなくて、良い物が少しあればよいのだ。


そんなこんなで、中国人すべてが怪しく見えてしまったので、購買意欲は急速に減退し、トータル的に見れば国にとっては損である。おみやげだって、よい物がそこそこの数並んでいれば、それをじっくり見て買うのだけど、強烈な客引きとか強引な売り込みとかがあるので、近寄りたくなくなる。けっきょく、中国で個人的に使ったお金は14,000円程度だ。


中国人は自分個人の安直な利益を追求しすぎるがゆえにトータル的に損をしているのは間違いない。


歴史を振り返ってみればアヘン戦争も、あ〜、こんな様子だったら簡単につけ入れられてしまったんだろうな〜、などと思ってしまった。日本は大局を見ることのできる人物に国を託すことができて本当によかったと言える。


韓国に行ったときには、ある程度共通のものを感じることができたけど、中国では、近いけど確かに遠い国であり、まったく別の民族である、という印象を強く持った。ただまぁ、旅の醍醐味というのはカルチャーショックにあるわけで、そういう意味で、中国は驚きと意外性に満ちているので、それを楽しむという観点に立つと、非常におもしろかった。


文章的にまとまりがなくなってしまうけど、中国の社会について最後に書きたい。中国は共産主義国であるはずだけど、実体は思いっきり資本主義経済だ。極端な貧富の差が生まれていて、社会的なゆがみを感じる。このゆがみが将来どのような影響を及ぼすのだろうかということを考えてしまう。今、急速な経済発展を遂げていて、オリンピックに向けて多くの近代的な建物がこれでもかというほど建てられているが、これは一つのバブルであると思わなくもない。北京オリンピックが終わった後、「祭りの後」の空白の期間が生まれそうな予感もする。そのような時に、「ゆがみ」が表に噴出し、社会全体が不安定になる可能性もある。こういうのは考え過ぎなのだろうか。