ビンテージワインってこんなにうまかったのか

昨日、家族でみなとみらいのパン・パシフィックにあるクイーン・アリスに行ってきた。クイーン・アリスは非常にリーズナブルなフレンチで、夜のコースが8,800円である。前は7,500円だったから「値上げしちゃったのか〜。まぁ、もともとが安かったからしょうがないか」などと思ってたんだけど、総額表示制に伴う表記の違いと言ってもよいぐらいで、8,800円というのはサービス料と税込みの値段のため、実質200円ぐらいしか変わってないのだ。えらい!


コースの値段がリーズナブルなので、ワインに奮発できるのがいい。それに、今回は基本的には親もちではあるものの、赤ワインは僕が出すよ、ということになっていたので、遠慮する必要もない。と言っても、2万ぐらいが限度になっちゃうんだけど…。


アペリティフは季節のフルーツカクテルにした。ピーチのカクテルで、ジュースのようであるが、非常においしい。母親などはおいしいと言いながら一番最初に飲み干してしまった。うちの母親は、絶対的な味の基準を持っている人で、どんなに高くても、どんなに雰囲気が良くても、自分がおいしくないと思えば首を傾げる人である。僕は雰囲気には確実に左右される人なので、そういうところはすごいなぁ、と尊敬している。


さて、クイーン・アリスは前菜、温前菜、スープ、魚介料理、肉料理、デザートをそれぞれいくつかある中から選択できて分かりやすいし、選ぶ楽しみもある。今回のチョイスは考えられる最高のものだったと勝手に喜んでいるのだけど、前菜はホタテのなんとかとアスパラのサーモン巻き、温前菜はフォアグラのソテー大根添え、スープはきのこのスープで、魚介は‘くえ’のクルミのせなんとか、肉は子牛の網焼きしそ風味、デザートはアリス・モンブランであった。フォアグラの大根添えと‘くえ’とモンブランは絶対に頼むべきであるということで妹とは意見の一致を見ている。とはいえ、‘くえ’とモンブランは季節ものらしく、いつもあるとは限らない。


僕は常々思ってるんだけど、ヨーロッパにおける食事とワインの関係は、日本におけるおかずとご飯の関係とほぼ同じである。パンはご飯とは全然別のポジションを占めている。日本のおかずはご飯があることを前提に作られているのと同様に、フランス料理などは明らかにワインがあることを前提に作られているとしか思えない。ご飯をおいしく食べるためにおかずがあると言ってもいいのと同じように、ワインをおいしく飲むために料理があると言ってもよいように思う。もちろんその逆も同様である。つまりその両者は不可分の関係にある・・・よね? 前にこのことを説明してもまったく理解を示してくれない友人がいたけど、彼はご飯だけでもおいしく食べられる人であった・・・。


ワインはどうせメニューを持ってこられても分からないので、おすすめを聞いてしまう。と言っても、ある程度好みを聞いてくれる。


白ワインは、まず甘いのは好きではない。ただ「甘くないの」と言うと、きりっとしすぎているのが多いように思う。だいたいそういう要望を伝えて価格帯を伝えて、とりあえずいくつか候補をメニューの中から選んでもらって、それぞれの特徴を教えてもらう。選んだのは、飲み口さわやかだけど余韻が長いタイプのおいしい白だった。APPELLATION PULIGNY-MONTRACHET CONTROLEE、LOUIS LATOURとラベルに書いてある。ブルゴーニュのワインだ。


そしていよいよ赤である。2万円前後になるとビンテージワインが選べる。僕にとって未知なる世界だ。僕は赤はしっかりしたのが好きだ。ボジョレー・ヌーボーみたいなのはあんまり飲みたくならない。しかし、しっかりしたワインだと、飲んだ瞬間の重さがある。それもいいのだけど、楽しみたいのはどちらかというと余韻のほうである。選んでくれたビンテージはその飲み口がマイルドで、しかも余韻が長いと言う。最高ではないか。1976年のLAFON-ROCHET、SAINT-ESTEPHE-MEDOCってラベルに書いてある(ラベルってどこを見たらいいんだろ?)。やたらにおいしかった。今まで飲んだどのワイン(大して飲んでないけど)よりもはるかにおいしかった。香りはデキャンタに入れたけど、強烈に香ってくるわけではなく、上品な香りだ。そして口に入れた瞬間は言われたとおりまろやかである。その後、細かいことは分からないけど、口全体に広がる香りがあって、その香りが口と鼻とのどの隅々に染み込むようである。じわ〜っとしっかり残っている。もう最高に幸せな気分だ。


やっぱり、人生の幸せっていうのは、おいしいものを食べて飲むことがかなりの割合で関係しているなぁ、と思ったのであった。食大国日本。自分はこの国に生まれてきて、実にラッキーだったと感じる瞬間である。最近、やたらと練炭自殺する人が多いけど、親しく話せる仲間とか家族とかとおいしいものを食べて、おいしいものを飲めば、そんな気なんてなくなるんじゃないかな? そういう人間関係がないからそういう行動にでちゃうのだろうか。実に悲しいことである。せめて、その自殺仲間と一緒に人生の愚痴でも言いながら、“こと”を決行する前に、最後の晩餐を楽しんでほしい。死ぬ気なんてなくなるよ。