サザエを食べる

デパ地下をうろうろしていたら、魚介類コーナーにサザエが売っていたので買ってきた。サザエの身(実?)というのはとても人間の食べ物とは思えない姿をしているが、サザエの壺焼きはこれがなかなかとてもおいしいものである。自らの身を守るための殻が調理用の器にされてしまうという何ともサザエにとっては悲劇的な体験になるわけで、しかも生きたまま火にあぶられてしまうという、ちょっと我が身に置き換えて考えると実に申し訳ないことをしてしまうわけだが、サザエをひと思いに殺してしまう方法というのが分からないので、仕方なく網の上にのせて焼くしかないのだ。すまぬ。。。


もし僕らのことばがウィスキーであったなら (新潮文庫)
村上春樹の「もし僕らのことばがウイスキーであったなら」*1 *2の中に、生牡蠣を食べるおいしい食べ方として、生牡蠣の上にボウモアを垂らして食す、というのがあって、これが実においしそうなのだ(読み返してみたら、アイラのシングルモルトを垂らす、とあった)。こう書いてある。

レストランで生牡蠣の皿といっしょにダブルのシングル・モルトを注文し、殻の中の牡蠣にとくとくと垂らし、そのまま口に運ぶ。うーん。いや、これがたまらなくうまい。牡蠣の潮くささと、アイラ・ウイスキーのあの個性的な、海霧のような煙っぽさが、口の中でとろりと和合するのだ。どちらが寄るでもなく、どちらが受けるのでもなく、そう、まるで伝説のトリスタンとイゾルデのように。それから僕は、殻の中に残った汁とウイスキーの混じったものを、ぐいと飲む。それを儀式のように、六回繰り返す。至福である。


人生とはかくも単純なことで、かくも美しく輝くものなのだ。


それで、この本を読んだときに、僕もそれに触発されてボウモアを買ってきた。ボウモアというウイスキーは、ウイスキー好きなら知っていると思うが、ものすごく潮っぽくスモーキーなウイスキーで、魚介類と相性がかなりいいように思う。


ということで、前にサザエの壺焼きを食べたときにはボウモアを垂らして、醤油を垂らして、食べるときはボウモアを飲みつつ食べる、ということをして、これがなかなか絶品であった。


それで今回もそのようにしようと思ったのだが、ボウモアは残念ながら切らしていて、普通の日本酒と醤油を垂らして食べた。でも、うまかった。身をずっと見つめていると食べる気がなくなってくるので(^^;)、殻から取り出したら素早く口に入れてしまうのだ。口に広がる潮の香りとちょっとした苦みが最高である。ふたを取るときだが、サザエの巻き方向に向かって内側をフォークなどでぐっと突くと良いようだ。

*1:本当は「ウィスキー」なのだが、キーワードにかからないようなので「ウイスキー」としている

*2:村上春樹は小説だけじゃなく、エッセイもおすすめだ。人生を楽しむというのはどういうことなのかを教えてくれる。