東海道線の対面座席について

いま、東海道線の対面座席に座っているのだが、どうしてこの座席はこんなにも間隔が狭いのであろうか・・・。どんなに腰を引いても膝がぶつかってしまうので、うまく足の具合で膝の位置が重ならないようにしないといけないのだ。しかも現在の体勢として、向かいのおじさんが足を広げているため、僕は足を閉じていないといけない(T_T)。僕は女の子ではないので、足を閉じているのはけっこうつらいのである。股関節が勘弁してくれと訴えているが、こうやって携帯でダイアリーを書いて気を紛らわしているのだ。


でも、こうした状況に自分が立たされてみると、まだモノを保持していらっしゃるニューハーフの方なんかはけっこうつらい思いをしているかもしれない、こういう些細なところで自分が男として生まれたことに怒りを感じているかもしれない、などと思ってしまったりするわけで、人はやはり、表からは分からない悩みや苦悩を抱えているものなのだなぁ、としょーもないことについて考えたりできて、楽しい。


で、東海道線の対面座席であるが、これはいったい何を基準として設計されているのだろうか。どう考えても僕の足が長すぎるというわけではないだろうし(一度は言ってみたいせりふだ)、明らかに平均的な日本人にとっても狭すぎる。


しかしまぁ、ふと考えてみて思うのは、この車両が似合うのは、青春18きっぷ的な風景であろうということだ。四人がけの席にただ一人が座って、静かに流れ去る風景を眺めていて、小テーブルにはお茶(あの半透明な容器に入ったやつね)、というようなものなのではないか、と。


そのようなことから導き出される結論として、つまりは、この東海道線の対面座席は寂しげな旅情を演出するためにわざと間隔を狭くして人が目いっぱい乗らないようにしているのだ、ということになる。いや、待てよ。それとも、四人がぎちぎちに乗ったときに今ではすっかり失われてしまったが昔は自然と醸し出されていた寅さん的な人情味を演出するためにそうしているのかもしれない。持参したにぎりめしを差し出して「ささ、皆さんどうぞ」みたいなことをするにはあの狭さは絶妙な気もしてくる。うーむ、確かにそういうことかもしれない。さすが侘び寂びの大和国、日本の鉄道だなぁ、などと感心していたら新橋に着いたのであった。


しかしながら、せめて通勤の電車は普通の山手線的な座席にしてほしいなぁ・・・。